〜もう少し、僕に語らせて欲しい……〜 Produdced and Written by 阿賀佐栗須亭 徒然なるままに、しぶとく続く(笑)コーナーの第10弾です。 |
|
|
|
その46)センター試験と「さらば青春の時」 | |
聞いた話で恐縮です。なんと昨年かその辺の大学入試センター試験「現代文」でアリスが出題されたそうです。大学入試センター試験というのは、昔の共通一次です。竹田青爾『陽水の快楽』からの出題で、そこにアリスの詩が登場したのです。ただ、竹田氏は陽水大好き派だから、アリスの詩は、青春の喪失感だけで中身無しとけなしていたそうです。まったく。まあでも陽水氏と並び称される存在であることが再確認されたことはプラスに評価しておきたいですね。(2001.11.16) | |
その47)不思議の国を生きるお年寄りは「アリス」 | |
2001年10月28日付けの朝日新聞によると、10月27日、非営利活動法人を目指す団体「21世紀癒しの国のアリス」が東京都内で設立されました。これは高齢者のケアの研究や普及を進めるため、各地の病院や高齢者介護施設など関係者が発起人になったものです。アルツハイマー病などで支援が必要なお年寄りを「アリス」と呼ぼうと、提唱しています。 これは、とある老婦人がぼけていた時期を振り返って「不思議の国のアリスみたいだった」と表現したところから、顧問の高柳和江助教授が発案したものです。設立シンポジウムでは、「これまで、介護が必要なお年寄り呼び方よりも素敵な『アリス』を定着させ、アリスが尊厳を持って暮らせる日本にしよう」と訴えました。 ─素晴らしいではありませんか。これまでは、○○老人や○ほうといった名称で呼ばれていましたが、これは差別的な要素も含んでいました。名称を変えることによって、介護の充実を目指すということなのですね。これによって社会的な見方が変わっていけば、介護に従事する人も増えての中身も少しずつ充実していくような気がします。(2001.12.14) |
|
その48)「ハードアコースティック」と歌詞の解釈 | |
「解釈」と言っても、西洋の学者を引き合いに出してきて論じたりしようとし ているわけではありません。近年のシンジの歌詞が私たちの「解釈」をかき立てるも
のでなくなってきているのではないか、という事を述べたいだけなのです。ここでは 、「解釈」という語は「想像」に近いものとお考えいただいて結構です。 さて、本HPでは「雪の音」の新解釈を示したことがあります。そこでは、石川啄木の詩を参考にしながら、この曲は本当に病気になった人の歌ではないかとの解釈 を示しました。 しかしひょっとしたら、この解釈はシンジの意図とはまったくかけ離れたもの であったかもしれません。でもそれでよいのです。聞く側がさまざまな解釈を行うことが出来る、それは歌詞というものにとり不可欠の要素であるからです。 思うに、シンジの近年の作品には、そういう歌詞が減ってきているのではないでしょうか。もちろん『半空』にはすばらしい曲が収録されていますし、歌詞の質が低下しているとも思いません。しかし、近年のシンジは「あの頃」という言葉にこだわりすぎているのではないか、そう思うのです。そしてそれは聞き手の解釈を制限してしまっているのではないか、そう思うのです。さらにいえば、シンジが「ハードア コースティック」を若者に聞いて欲しいと思うのなら、なおさらこの点は重要である と思います。 例をあげてみると、「門司港レトロ」における「オムライス・・・」という歌詞ですが、この詩は若者の聞くことの出来る詩でしょうか? そうではないでしょう。あらゆる世代が受け入れることのできるものではありません。曲がカッコイイだけになおさら惜しい気がします。 若者はまだ「あの頃」にこだわる必要はない。だから、彼らに「ハードアコースティック」を聞かそうとするなら、「貘」のような曲を並べる必要があったのです。 さまざまな解釈を引き出しやすいからこそ、さまざまな人に聞いてもらうことができるのではないでしょうか。『半空』の質の高さにホッとしながらも今後の展開が気になる私でした。(2002.6.17) |
|
その49)「チューナブル・タンバリン」の復権のために | |
今、巷ではタンバリンが流行っています。「ゆず」の影響ですね。大抵ギターとタンバリンの二人組が路上で「ゆず」のカバーかオリジナル曲を歌っています。本当にたくさんいますよね。私は彼らを見ると、不思議な気持ちになります。なぜ「ゆず」しかやらないのかな?と。本気で音楽やっているのかな・・・彼らは研究不足です。なぜなら「チューナブル・タンバリン」を知らないからです。今回はそれについて少し語らせてください。 チューナブル・タンバリンとはチューニングのできるタンバリンのことで、「明日への讃歌」のリズムパートを担当しているのがそれです。『コラソンスペシャル』でシンジは、アリス東京殴り込みの「必殺の楽器」としてチューナブル・タンバリンを用意したと言っています。フォークでありながらリズムに音量を加えるという独特の手法を用いて勝負しようとしたわけです。それは「明日への讃歌」のあの迫力あるサウンドに結実しました。そしてそれは様々な人に衝撃を与え、アリスサウンドの原型となりました。 このようにチューナブル・タンバリンは、他の人に対してインパクトを与えることができるのです。にもかかわらず、ストリートミュージシャン達はいつまで経っても「ゆず」の物まね。研究不足以外の何者でもありません。チューナブル・タンバリンを使えば他のバンドとは明らかに一線を画することができます。第一音量が違ってきますし、リズムに迫力が出ます。そして当然、注目を集めることができます。普通のタンバリンとチューナブル・タンバリンの2種類用意するのも面白いし、アイディアが広がります。これからのストリートミュージシャンはチューナブル・タンバリンに注目すべきです。 ついでに言えば、シンジもチューナブル・タンバリンに注目すべきです。シンジは「ハードアコースティック」の名の下、ギターに注目しています。これは当然と言えば当然のことですが、実は!タンバリンにこそ注目すべきだったのです。これこそ誰も注目していないオリジナリティ溢れる領域だったのです。しかもシンジはその領域の発見者なのですから、いくらフィーチャーしても誰も文句言いません。 そこで提案します。シンジは、(私の知る限り)アリスにおいても1曲しか使われなかったチューナブル・タンバリンを前面に押し出したコンサートを行うか、これをフィーチャーした新曲を出すべきです。もちろん「ハードアコースティック」のサウンドに乗せて、です。 「ハードアコースティック」+「チューナブル・タンバリン」。この組み合わせこそ、今のシンジにふさわしい。また、若者にもアピールできる。チューナブル・タンバリンは、今後のシンジの音楽性のカギを握っていると言っても過言ではないでしょう。(2002.6.23) |
|
その50)ライナーと「ハードアコースティック」 | |
「ハードアコースティック」。『半空』の理解のキーワードとなるこの言葉を、私はFC会報に掲載された新聞切り抜きによって知りました。この事に私は大きな問題を感じています。今回はそれに触れたいと思います。 どういう事かというと、私がFCに入っていなかったら、私は「ハードアコースティック」なる言葉を知ることはなかったのではないかということなのです。この言 葉抜きに『半空』理解はありえないにもかかわらず、です。これは大問題だと思いま す。 なぜなら、シンジファンには、FCに入っていないテレビを見るだけのファン、ア ルバムを買うだけのファンも沢山いるからです。つまり、これら多くのファンには「ハードアコースティック」なるキーワードは伝わらないのです。たしかに、FC会員が特別なのは分かりますが、シンジファンの多くはFC会員ではないのです。そんな大部分の「無言のファン」は「ハードアコースティック」と言う語を知らなくてもいいのでしょうか?「無言のファン」にも言葉を届けなければならないのではないでしょうか? そこで必要となるのがライナーです。シンジは、アルバムにライナーをつけることはほとんどありません。これは、ライナーをつけると曲から得られる想像がふくらまないと考えているからだと思われます。これにはたしかに一理あります。しかし 、多くのファンに自分のアルバムに込められたメッセージを言葉で説明しなければならない場合もあると思うのです。新しいジャンルに挑戦する場合がこの場合に当たると思います。また、経済的事情・地理的事情でコンサート会場に足を運べないファンも沢山いるのです。そんな人たちに言葉を届けることも必要だと思うのです。 ですから、『半空』を「ハードアコースティック」のアルバムである事を紹介することは、必要なことです。それは私たちの想像をさらに拡げてくれるはずです。(2002.6.30) |
|
|
|