〜もう少し、僕に語らせて欲しい……〜 Produdced and Written by 阿賀佐栗須亭 徒然なるままに、いつまで続くのかと思わせる(笑)第15弾です。 |
|
|
|
その71)「ビニール本」に見るシ
ンジの先見性 |
|
コンビニでたまたま購入した『劇画自民党総裁 暗闘大平正芳』(さいとうたかを・原作戸川猪佐武)というのを読んでいると、ふと次の記述を見つけまし た。 いわゆるビニ本(立ち読みされないようにビニールで包んだポルノ写真集・雑誌)が出回り始めたのは、この五十四年から五十五年にかけてのことだった。 ん?? 24時間シンジのことを考えている私は、一つのエピソードを思い出しました。あの伝説の武道館ライブ『栄光への脱出』終了後、シンジが当時バイトをして いたビニ本屋の仕事に入ったところ、その店でファンと遭遇した、というあれです。「『栄光への脱出』ライブっていつだっただろう?」。手元にある『スー パーリマスタリング』シリーズを確認してみますと、ほとんど何も書かれていません。その後オリジナル発売は1978.10.5と判明、ライブは8月〜9月 に行われたと判明しました(手元にレコードがないのがもどかしい・・・どなたか正確な日付をお教えいただけれるとありがたいです)。 しかし、ここでは日付までは必要ありません。ここで必要なのは1978年という年です。上の劇画の解説は、ビニ本の普及は五十四年、1979年だと言っ ています。他方、シンジのビニ本屋でのエピソードは1978年のことです。ここからひとつの事実が浮かび上がってきます。すなわち、シンジは、ビニ本が世 間に出回る前からビニ本に慣れ親しんでいたという事実です。 シンジがアジアにおける音楽活動の道を切り開いたフロンティア(開拓者)であることは衆目の一致するところですが、こんなところでもフロンティアだった とは! 恐るべし谷村新司! です。もっとも、シンジの話からは、ビニ本の流行を見抜いていたとまでは言い切れませんのでそこのところは注意が必要です が、流行前からビニ本という領域に手をつけていたという事実は、シンジの先見性を間接的に示すものと言えるでしょう。(2005.9.10) [追記]この件について、継之助さんからご意見をいただきました。 シンジの「ハンドinハンド」してからビニ本屋のバイトに直行! というのはあまりにも有名なお話ですがシンジ自身が興味を持ったのは 流行する前、ということですので継之助が思うにはいろんな業界にネット ワークを持っているシンジのことですからこのビニ本業界人にも精通して いたのではないでしょうか? だからこそ、当時一冊1,500円前後した本を3,000冊もコレクション できるはずもありません。(事務所の借金返済に追われていたシンジがいくら 好きなビニ本でも450万円も払えないと思います!注:定価は上代として) だからこそ、流行する前に何食わぬ顔で「ハンドinハンド」しながら内心 「うっひっひっ」ってほくそ笑んでいたのではないでしょうか! なるほど、これも一理アリです。業界そのものに精通していたからこそ、流行前か らビニ本を手にすることができたのだ、ということですね。さすがシンジ。深いです!(2005.9.18) |
|
|
|
その72)楽曲のモデルを明確にすることの是非について New! |
|
2005年の24時間テレビ、今現在の「チャンピオン」が聞けて、実に感動的でした(この出演の総括につ いてはこ ちら)。しかし、一抹の疑問が残ったのは私だけでしょうか?「『チャンピオン』のモデルはカシアス内藤である」という(コアなファンなら当然知っ ている)テーゼが示されたわけですが、ここまではっきりさせていいのでしょうか? 私は以前、「ハー ドアコースティックと歌詞の解釈」において、「聞く側がさまざまな解釈を行うことが出来る、それは歌詞というものにとり不可欠の要素である」と論 じ、 聴く側の想像力の重要性を指摘しました。そして「さまざまな解釈を引き出しやすいからこそ、さまざまな人に聞いてもらうことができるのではないでしょう か」と「門司港レトロ」の歌詞に疑問を呈しました(注:私はこの曲好きですから誤解のないように)。 今回のモデル特定にも、同様の疑問が湧いてきます。「チャンピオン」=カシアス内藤の図式が強調され過ぎることで、聴く側の想像力の妨げられるのではない かという疑問です。もっとも、「チャンピオン」のモデルがはっきりと示されたのは、今回が初めてではありません。たしかいつぞやの「スーパーモーニング」 だったかのワイド ショーでも放送されました。ですから、いまさら明らかにしたところであまり変わらないのかもしれません。しかし、「チャンピオン」に自分の人生を重ね合わ せている人々にとって、今回のことが、自らの「チャンピ オン」解釈に悪い影響を及ぼす可能性がないとは言いきれないこともまた事実です。感動しながらも、今回の放送が、我々の多様な解釈を妨げないよう祈る私で し た。(2005.9.11) [追記]「チャンピオン」について、SUN3SINさんから次のような情報をい ただきました。 昔録画したビデオを見てた時、NHKアコースティックギター入門という番組で石川鷹彦、加藤和彦、小野リサで ボサノバをやってたんです。 その中で石川氏が、チャンピオンは元々ボサノバ調にやる予定だったけど、もっと激しくしたいという事で、あのアレンジになったと。 石川氏のアコギのボサノバを変調させていくと、あら不思議。チャンピオンになるではありませんか! あのチャンピオンが元々は、ボサノバだったなんて衝撃です。 [管理人より]情報ありがとうございます。なるほどお、それであのすばらしいアレンジができたんで すね。すごいです。この情報、ギターキッズ(?)の間では知る人ぞ知る情報だったようで、ALIDE0001さんからも同様の情報をいただきました。おふ たりに感謝です。(2005.9.18) |
|
|
|
その73)映画批評と谷村新司研究 | |
村井淳志『脚本家・橋本忍の世界』(集英社新書、2005)は、映画『七人の侍』『砂の器』『白い巨塔』
などの名作の脚本をてがけた脚本家橋本忍の作品から9本を選び、それぞれの作品が日本人の社会に対するものの見方、考え方にどんな影響を与えたのかを考え
ようと試みる本です。具体的には、まず映画そのものの緻密な分析を行った上で、橋本忍本人へのインタビュー、またそこに描かれた人々(たとえば『砂の器』
であればハンセン病元患者の方)へのインタビューを行って、その映画の魅力に迫っていきます。「観る側」からの映画評論の試みとして、非常に興味深い作品
でした。さて、私はいつものことながら、シンジファンの視座からこの本を読みました。そこで興味深い記述を見つけました。今回はそれをご紹介したいと思い
ます。 『七人の侍』をとりあげた章で、村井はある疑問を提示します。それは「一九五〇年代に『羅生門』『生きる』『七人の侍』などの傑作を立て続けに生み出し た黒澤明が、八〇年代以降なぜ、『影武者』『乱』などの壮大な駄作をつくり続けたのか」という疑問です。そしてこの点についてある解説を紹介します。品田 雄吉(映画評論家)の評です。品田は、この点について、黒澤作品が、それまでのドラマ性を追求した作品から『影武者』などの映像の美しさを追求した作品へ とその指向を変えていったことは、黒澤がもともと画家を志す青年だったことを考えると当然のことなのだと言うのです。 この批評について村井は辛辣な批判を繰り出します。いわく 「こういう説明が、贔屓の引き倒しの強弁であることは、『影武者』『乱』などが、どのベスト一〇〇にも選ばれていないことから見ても明らかだ。観衆の不満 に真正面から応えようとしないこの種の詭弁は、映画批評の自殺行為だろう」(25頁)。 よくこんなこと言えるなとびっくりしますが(笑)、この批判は、あらゆる批評に通じるものがあります。シンジの音楽についても同様のことが言えます。 「贔屓の引き倒し」の論評ばかり繰り返すことは、何の意味もないどころか有害なのです。 さて、つづけて村井は西島雄造読売新聞芸能部長のコメントを紹介します。「監督・黒澤明は昭和20年代で燃えつきた。30年代は付けたし、その後は自ら が『巨匠』の名の中に身を閉じこめて、あたら才能を無駄遣いした」。このコメントについて村井は次のように言います。 「これなど評価としては当たっている(……というよりは、実はゾッとするほど鋭い)と思うが、なぜそうなったのかを内在的に説明していないのは不満であ る。人間、四三歳(黒澤が『七人の侍』を撮った年齢)で燃え尽きるものだろうか?もっと別の理由があるのではないだろうか?」(25-26頁)。 ここも我々の谷村新司研究における態度に有益な示唆を与えてくれます。つまり、「なぜそうなったのかを内在的に説明」することが非常に重要だということ です。シンジの作品について、傑作・駄作の評価を下すことだけでなく、「なぜそうなったのか」を「内在的」に説明することが我々には求められているわけで す。 これまでの記述を、谷村新司研究に即してまとめると、次のようになります。 (1)谷村新司研究を行う我々ファンが、「贔屓の引き倒し」の論評ばかり繰り返すことは、何の意味もないどころか有害(自殺行為)。 (2)谷村新司研究は、聴衆の不満に向き合う必要がある。 (3)我々ファンは、シンジの作品について、傑作・駄作の評価を下すことだけでなく、「なぜそうなったのか」を「内在的」に説明する必要がある。 私自身は、上の三点は、すでに実践しているつもりですが、まだまだ足りません。今後も谷村研究を続けていくつもりです。 今回は、我々の研究態度(取り組む姿勢と言い換えてもいいかもしれません)について述べてみました。この著作には、このほかにも我々が谷村新司研究を展 開していく上で重要な論点がいくつか出てきますが、それは他日を期すこととします。(2005.9.12) |
|
|
|
その74)負けるか! |
|
公式ホームページで、こんな記事を見つけました。 竹中平蔵大臣は「谷村新司オタク」 おはようございます。 今朝のTBS、がっちりマンデーに、竹中大臣が出演されていました。経済の話の中で、タイトルのように「自分は谷村新司オタクなのです。」と言われ、将 来、 『谷村新司研究 』という本を書きたいのだと・・・司会の加藤さんたちもびっくりされて、盛り上がっていました。そして谷村さんの奥様ともお話をされたことがあって、奥様 も知らなかった谷村さんの大学時代の曲を自分は知っていたのだと自慢されていました。 そして大臣を辞める時には、谷村さんの「動天」を流して辞めたいと・・・ぜひ『谷村新司研究 』という本を書いていただき読みたいな〜と思って投稿いたしました。 「動天」を知っているとは、やりますな。私は、竹中氏がシンジファンなのは知っていました。しかし「谷村新司研究」までやろうとしているとは知りませんで した。これは負けるわけにはいきません! 今後もがんばらねば! 竹中氏には、早く大臣を退いていただいてw、谷村新司研究に専念していただきたいもので す。そして谷村論を戦わせようではありませんか! (2005.10.24) |
|
|
|
その75)シンジファンのあり方について New! | |
先月、継之助さんときょろさんとの間で興味深い議論がありました。ここに留めておきたいと思います。題し
て『シンジファンのあり方について』です。これは、継之助さんが、林明日香『蓮花』について、以下のような内容で公式サイトに書き込んだのがきっかけでし
た。 ■シンジの“ご本家”に苦言を呈した書き込みを致しました。 (下記参照、ただここではもっと本音を述べていることをご了承願います) 【アジアPOPフェスティバル】を遅ればせながらHDDで観ていたら 和国の『ZAN』が演奏する“昴”がこれまた“昂”で紹介されていました。 相変わらずの公共放送NHKの態度に憤り!です。(←相変わらずの愚行) 併せて、シンジと海老名香葉子さんが平和を願って描いた曲『蓮花』。 歌ってる林明日香という少女をメディアで初めて観ました。 歌詞間のブレス(息継ぎ)が気になって気になって…。。。 想いのこもった素晴らしくイイ曲なのに曲自体が少女の巧く歌おうと するブレスに霞んでしまって、『えっ??この曲、どんな曲だったけ?』 ってな感じです。 ほとほとゲンナリ、、嫌になっちゃいました。 (↑も本家にはもう少し柔らかく書きましたよ) ★(↓ここからは本家じゃ書けないホンネ…) ならば「ココロツタエ」を歌った【夏川りみ】さんに再リリースして欲しい! と痛いほど、苦しくなるほど、喉から手が出るほど、切に…切に…切に希望したいと 思った継之助でした。 この書き込みがきっかけになって、きょろさんと継之助さんとの議論が始まります。 確かに『蓮花』は・・・ 投稿者: きょろ 投稿日:10月12日(水)11時22分39秒 継之助さんその後、公式サイトでは継之助さんの書き込みに対しては何の反応もなし。継さんの怒りが炸裂! まったく… 投稿者: 継之助 投稿日:10月18日(火)10時11分49秒 一体何に魅力を感じているのか? 投稿者: きょろ 投稿日:10月18日(火)19時05分53秒 継之助さん |
|
|
|
|
|