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べ「あ〜、やっぱりきついわ(笑)。『知らない街で』っていう歌ですけど、これはアリスで言うと何枚目に入っていた? これは、2枚目ぐらいなのかなぁ?」 ち「2枚目」 べ「あ〜、2枚目なんだ(笑)。あの頃って、アコースティックを駆使しながらいろんなサウンドを作っていきましたけど5〜6年目あたりから最初の出だしの辺りのサウンドに徐々に近づいていくんですけどね。今やっているのは、かなり初期というか足かけ5年目ぐらいの歌です。この歌も、……これは何枚目だったかな?」 ち「これも2枚目」 べ「これも2枚目でしたか」 ち「べーやん、全然覚えてないな?(笑)」 べ「もう、ほとんど近所では『ア○ツ君』と呼ばれています(爆笑)。やっぱね、これもう笑い話ですけど40代前半まではそんなに忘れるほどでもなかったんですよ。やっぱり50代の声をきいたぐらいから、例えば部屋といってもそんなに広い部屋ではないんですけど、何かを取りに行こうと思って移ると、違う部屋に来ると何をしに来たのかわからなくなる(爆笑)。ほんと、最近発見したんです。もとにいた部屋に戻ると、『アハハハ、はさみだったのか』って(爆笑)。これ、いいでしょ? みなさん、もといた形に戻ってみてください。みんながみんなそういうわけではないでしょうけど(笑)。忘れっぽくなりましたね〜」 ち「じゃあ、今度は秋の歌を……。まだ残暑厳しい盛りですけど秋に向けて……、英語の題名は……」 タイトルが出てこない。 べ「言わないのかよ?(笑)」 ち「誰もいない。じゃあ、お贈りしましょう。では、拍手を頂いて……」 拍手をほしがるちんぺいさん。 |
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ち「この頃って、アリスは3人で行動していて、ロンドンブーツとか履きながら列車移動で駅を随分とハシゴしました。きんちゃんのコンガを両手に持って、そしてぼくとべーやんがギターを持って。そして列車に間に合わないって言うんでダッシュをしていると、一番つらそうにしていたのが矢沢でした(笑)」 べ「いや〜、あれはよくわかんないけど大変だったんじゃないかな。コンガをだって、1個じゃやっぱり……」 ち「『コン』ですね(笑)」 べ「『ガ』が抜けてる(笑)。『コンガ』だから、まあ1個でもいけるんですけど、やっぱり二つで一対、セットですよね。だから、これ大変だと思うんですよ。僕はあの当時、『青春時代』とか都倉俊一先生の歌を歌っていた時代もあったんですよ。そのときは、マンドリンも持ってきんちゃんは電気ピアノですか、あの当時はそういう風に言っていたんですけど」 ち「エレキピアノ」 ちんぺいさん、調弦中。 べ「いちいち英語で言わないの(笑)。でね、あれって足がついているんですよ。それも悲惨ですよ、足もバラバラにして首からかけて(笑)、それであのコンガを持って。ギターって替えが必要じゃないですか? 二本持ってマンドリンを脇に挟んで、スーツケースを持って何か『歌う赤帽状態』でしたね(笑)。懐かしいわ、あれは」 ち「あの当時、年間250〜300ステージやっていたから」 べ「ものすごかったから」 ち「あれで体力、脚力が鍛えられたんじゃないかな?」 べ「考えてみると、足腰だけはスゴイですよ」 ち「だから、オフコースの小田(和正)君に言われたのは、『アリスって太股から声出してるね』って(爆笑)」 べ「どっから声出しているんだって」 ち「さだまさしは、こめかみから声出している(爆笑)」 べ「すっごい高い声だもんね」 ち「じゃあ、みんなで一緒に何か歌おうか?」 会場一同、拍手。 べ「せっかくですから今日は懐かしい曲ばっかりですけどどうせなら、デビュー曲を」 会場一同、ささやかな拍手(笑)。 べ「『走っておいで恋人よ』っていう、可愛い曲、内容も可愛いんですけどそんなラブソングですけれども、その都度歌唱指導いたしますので(笑)。歌唱指導といいましても、歌詞だけを先に言いますのでみなさまはそれをなぞるように歌っていただきたい(笑)。不安な方は、『フ〜フ〜フ〜フ〜』というハミングでもいいので(笑)、ひとつよろしくお願いしたいと思います」 ち「じゃあ、いってみようか」 べ「ワン、ツー、スリー、フォー」 |
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ち「今、皆さんの歌声がずっときこえてきてちょっと鳥肌が立ってしまいました(笑)」 べ「いいですねえ、あの当時、いっしょうにどうぞ、なんて言ってずっと歌っていくと歌が会場内に全体に伝わって『そっとぉほぉほぉよすぇいってみぃる〜』……どうもすいませ〜ん(笑)」 女性の歌い方を真似するべーやん。でも、会場からは拍手が。 べ「20年の歳月は人を変えます(爆笑)」 ち「べーやんって、アリスやってた頃ってほとんどしゃべらなかったもんな」 べ「しゃべらなかったというよりも、しゃべれなかったんです(笑)。話題がホントにない人間ですから、チンペイさんから『そうだよな』と言われても『はい、そうですね』(笑)。おまえは九官鳥か(笑)、っていう感じでした。自分がしゃべるっていう条件もそろってなかったですし、アリスがちょうど10年で区切りで一時停止というか、そういうことで10年がちょうど区切りの年だったんで。いろんな時代を超えてきましたけど、10年目がちょうど話題がピークだったんですね。あのときは、本当に桜が満開なんだろうな、っていう時期でした。僕は人間的には32歳でした。チンペイさんは一つ兄貴なんで33歳、『もう一回みんなで考えて見ようよ』ということで一人一人が歩き出したんです。本当にしゃべれなかった僕でさえ、やっぱり門前の小僧も習うより慣れろと言う感じで20年間の歩みの中で『そうじゃないんだ』と。やっぱり円滑にステージを進めるには皆さんとのコミュニケーションのご挨拶であったりということを自然にやればいいんだ、ということを少しずつ身につけながら。歌の方も、いろいろなものを柔軟に取り入れながらやってきました。ですから、今回の30周年目みんながホントに大切に思っていたアリスですから、3人とも元気で、一人が病院にいるとか(笑)、そういうことだったらちょっと寂しいんですけど本当に元気で胸がいっぱいです。愛知の皆さん、遠くから来てくれた皆さん、本当にありがとうございました」 会場いっぱいの拍手。 べ「ありがとう」 ち「もうみなさんに会えないんじゃないかって思っていたし、僕等もみんなたいへんだなあって思っていたんですけど、週刊誌では谷村と堀内は仲が悪いとかね(笑)。個人でみんな別々の部屋を取っていた、ということで仲が悪いんじゃないか、って。一緒に寝てる方が怖いわ(笑)」 べ「本当にそうですよね。ツインで二人で『シンジ〜、だめ! もっともっと、あ〜ん』(笑)そうだったのか、って(爆笑)。話題が違う方向へ行っているようなので、決してそういうことはないんですけど、心のつながりっていうのがいつもとぎれずにやってきました。そしてうまい具合にきんちゃんがぼくらのあいだにぽつんとはいって、『い〜じゃない』(か細く言う)(笑)、本当に三人のトライアングルって言うのはうまくしてあるなあってつくずく思います。それじゃあ、秋の曲をもう一曲……」 会場から拍手。 ち「違う曲が出てきたりして(笑)」 べ「左利きのあなたの手紙……秋止符をお届けしたいと思います。スリー、フォッ」 |
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ち「左利きのあなたの手紙……今、自筆で手紙を書く人は非常に少なくなりました。ほとんどワープロで(※私が思うに、ワープロって言うのももうすでに死語ですが)字がどんなに大きな人でもちゃんと収まります(笑)。便利ですけど、ちょっと淋しいですね。この後は、あの当時アリスは一人一人が自分の歌いたい歌を1曲ずつ歌う、『ソロのコーナー』っていうのを設けていました。今夜は是非、ソロのコーナーをやってみようと言うことで……(会場、拍手)この後登場しますのはアリスの隠し球です(笑)。矢沢透です!」 べ「ウェーー!!」(何かを叫んでいるみたい) き「こんばんは、矢沢透です」 会場、拍手喝采。 き「20年ぶりにこのピアノの前に立ってますけど、20年ぶりの悪夢はもうそこまで来ています(笑)。まあ、初めて僕の歌を聴く人もこの中にいると思いますけど、とりあえず期待しないで……(笑)。余りに期待を受けると、体をむしばむことになるので(笑)。あまり期待はしないで下さい」 一同、拍手。 き「ありがとうございます。とりあえず言い訳を言いますと(笑)、この場っていうか、この声というか、予備知識というか(笑)、初めて歌を聴くときには予備知識があるとその作品をより深く理解できて(笑)、その作品自体も光り輝くというものです(笑)。当然私の歌にも予備知識が必要で(笑)、まあ予防線ということなんですけど(爆笑)、単調なピアノ、とりとめのない歌詞、幼稚な歌声、この3つがやりたい放題やるものですから(笑)、歌いだした途端、椅子を蹴って立ち上がる(笑)、頭を抱えたままうずくまる(笑)、非常口の辺りでは逃げ遅れた人が折り重なって倒れているという一大地獄絵図が繰り広げられるわけですけど(笑)、幸い曲が短いので息の根を止めると言うところまでは行かない(爆笑)。じゃあ……」 会場一同、拍手。 き「違うの、曲は20年前の曲なんですけど、人は恋をするときっとこんな夜もあるんじゃないですか、っていう曲で、『あなたがいるだけで』です」 |
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べ「矢沢透に、大きな拍手をお願いします! 『きんちゃ〜ん!』」 会場一同、大きな拍手。 べ「ああ、うれしいなあ、本当に。自分が50になるなんて、分かってはいてもやっぱり来るもんですね。てことは、またうまくいけば60にもなれる……。20代は20代の生き方がありました。30代で惑わずと言うか、迷わず一生懸命やってきました。40代は本当の等身大の自分を追うと言うことで、アリスを離れ、僕はあのときは32歳ですけどよちよち歩きながら人との出会いを、何か寂しそうな目をしながらずーっと歩いてきました。いろんな人との出会いがありました。『こうした方がいいんじゃないか』『そうですよね』いいものは何でもトライしよう、作風というか歌のカラーも少しずつ自分の中で変えながら大人の歌と言いますか、どれが大人だっていったら分かりませんけど、年齢相応に自分なりの歌を積み重ねていきたいなぁ……。気がついたら、20年の歳月が流れ、あの人に会ったから今の自分がこうしてあるんだなあ……。もっともっとさかのぼれば、やっぱり谷村と矢沢に会ったのがそもそものはじまりで、『ああ、あれが始まりで今は一人ぼっちになったけど……』って考えたらずっと、旅の形は少し変わりましたけど便利になったりとかいろいろしましたけどやっぱり新人の時から同じ旅の繰り返しを続けています。振り返れば、今でも燃えてますけど、あの頃はむやみに燃えて、友だちもたくさんいて、バンド仲間もたくさんいたけど、ほとんどがちりぢりばらばらになって、音楽を忘れずにいる人は沢山いますけど、僕のように音楽活動をしている、という人は本当に少なくなって……。今日も会場のそこここでそんな僕らの仲間も観ております。僕はこうしてステージで歌ってますけど、みんなは自分のエリアの中で歌は歌っていないけど自分の人生をその中で歌っているはずです。そんなみんなのためにも、この曲を……。こういう曲はフォークソングと呼んでいいのか分かりませんけど、僕はこういう感じのものがフォークソングなんだろうなぁって思っております。ずいぶん前から歌ってなかったんですけど、ここ14〜5年は全然歌わなくって、何か自分とのギャップがあると感じたんですけど、でも今は懐かしさがあるので、抱きしめるようにこの歌が歌えるような気がしています。なつかしいよ〜〜。『カリフォルニアにあこがれて』」 |
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