シンジは「昴」をどう読んでいるか |
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2007年9月16日東京国際フォーラムに行かれた方は次のようなシンジの話
を聞いたことでしょう。
・・・昴という曲はいろいろなことを教えて
くれます。
このシンジ発言、実は非常に重要なことを私たちに教えてくれています。それ
は、「シンジは『昴』を、いや歌詞をどのように読んでいるか」ということです。
1 「原
意」か「意味」か
もう少し具体的に言うと、『さらば』というのは、ア
リスという集団から自分が離れていくことを歌っているのだとか、自分は我が道を行くのだとかいうことを歌っていたのではないのか? これはいったい、どういうことでしょうか。『さら
ば』という歌詞はまったく変わっていないのに。 すなわち、シンジは、歌詞を書いた人のもともとの意図=「原意」を重視して歌
詞を読んでいるのか、それとも歌詞の「意味」を重視して歌詞を読んでいるのか、という問題を提起しているのです。 どちらを重視するかは、われわれファンにとっても重 要です。前者であれば、われわれはシンジの意図=何を伝えたかったのかということを念頭において歌を聴く必要がありますし、後者であれば、シンジの歌詞の 意味を考えて聴くことになるでしょう。 この問題を、「原意」を重視すると歌詞はどのように
読まれることになるのか、「意味」を重視すると歌詞はどのように読まれることになるのか、という順に
検討していくことにしましょう。この作業によっておのずと結論が得られるはずです。 2 「原意」を重視するとどうなるか
まずは「原意」重視から。原意を重視すると歌詞はどのように読まれることになるのでしょうか。こ れも具体的に考えてみましょう。
仮に「さらば 昴よ」の原意が、有力説である「昴=アリスという集団から離れて一人になること」であるとします。
だとすると、われわれ聞き手は、「昴」の歌詞の解釈の幅が画定されることになります。たとえば私が「昴は社会人が脱サラをするときの歌だ。昴=会社をはじ
めとする集団のことだ」と解釈した場合、「シンジの原意はそうじゃない。昴=アリスなのだから、お前の解釈は誤りだ」との反論が成立することになりま
す。
このとき、われわれは、シンジの「原意」にしばられていることになります。シンジの原意がはっきりしているわけですから、それを無視して、そこからはみ出
すことはできないのです。
3 「意味」を重視するとどうなるか
では次に、歌詞の意味を重視する場合を考えみたらどうでしょうか。
「さらば昴よ」は「脱サラの歌」と読んでも問題ないことになります。なぜなら、シンジの原意(ここではアリスからの離れることとしていましたね)にこだわ
らなくてもいいからです。 「シ
ンジの原意はそうじゃない」という反論には、「歌詞をよく読んで下さい。『我はゆく さらば昴よ』ということで、一人である『我』と『昴』とを対比させて
いるではないか」と再反論することが可能になるのです。
このことは、歌詞の「意味」を重視すると、歌詞の解釈の幅が広がるということを示しています。「原意」という枠をはずすと、「さらば昴よ」はどのように読
んでも原則としては間違いではないということになります。 こ
こまできたら賢明なみなさんはすでにおわかりでしょう。歌
詞の意味を重視することにより、解釈の余地 が相当広くなる。このことが、今回シンジに「さらば」という歌詞を「モノからココロへ」という意味に読ませる
ことの背景となっているので
す。
おわりに〜結論
したがって、結
論は以下のようになります。
結論:シンジは『昴』の歌詞を書いたときの自分の意図(もともとの
メッセージ=「原
意」)を重視していない。歌詞の意味を重視する読み方をしている。
今回の「夢人」ライブは、非常に重要な意義をもつものとなりました。
なぜなら、現在のシンジは、このコンサートで、歌詞の『意味』を重視する立場にたって読んでいることを明らかにしたからです。
そしてこの立場にたったからこそ、シンジは、「さらば 昴よ」という歌詞に「モノからココロの時代へ勇気を持って移っていこう」という意味を読み込むこと
が可能となったのです。(07.9.22) |
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