谷村新司研究
『ノリ』とシンジ〜『龍のエムブレム』を例にとって

By 管理人


はじめに
 由比邦子『ポピュラー・リズムのすべて』(勁草書房、1996、以下「本書」)という本を、某図書館で見つけました。本書は、ポップス、ロック、ラテ ンのリズム分析とその奏法についてまとめたものです。図書館でみつけた上に借りてもいないものですから、一部しか読んでいません。とはいえ、そこに興味 深い記述を見つけました。それは『ノリとは何か』を論じた部分です。今回はそれをご紹介したいと思います。その上で、シンジ音楽とつなげて考えていきた いと思います。


1 ポピュラー音楽の「ビート感」

  著者によれば、ポピュラー音楽の「ノリ」は西洋音楽(クラシック)のそれとは異なっているのだそうです。著者は、これを説明するため、最初にビート感 について説明します。

「たとえば4分の4拍子の場合を考えてみると、いわゆる西洋音楽では一般に、これを強・弱・中強・弱と感じる。もっとも強い1拍はダウンビート…、それ 以外の拍(第2・3・4拍)は…オフビート…と呼ばれる。
 特にオフビートという表現は、本来弱拍である拍にアクセントが置かれる場合に使われる。ところが同じ4分の4拍子でも、ポピュラー音楽では弱・強・ 弱・強と感じるのがふつうである。すなわち、第2、第4拍にアクセントがつくわけである。これはいわゆるビート感覚であるが、ポピュラー音楽の世界では 特に、このよう場合をバックビート…(4分の4拍子における偶数拍を意味する)とも呼ぶ。
 ……つまりポピュラー音楽では、拍子のウラ、拍のウラを絶えず感じることによって、独特のノリを生み出しているのである」(2頁)。

 なるほど、拍子の取り方から全く異なっていると言うわけなんですね。クラシックは強・弱・中強・弱/ポピュラーは弱・強・弱・強。たしかにこれはかな り違います。
 著者はつづけて、いわゆる8ビートや16ビートについて言及します。

「ポピュラー音楽においては、同じ4分の4拍子であっても、1小節の基本となる音符の数によって、4ビート(1小節に4分音符が4個)、8ビート(1小 節に8分音符が8個)、16ビート(1小節に16分音符が16個)というふうに区別される。これはポピュラー音楽における、さらに細分されたビート感の 相違と言えるだろう。そして、これらのビートを基本にして、さまざまなリズムのシステムが作られるのである」(3頁)。


2 「ノリ」とは何か

 上の基礎知識を前提に、著者は「ノリ」について説明を加えていきます。

「ポピュラー音楽のノリは、オフビート(バックビート)のリズム感覚によって醸し出されるビート感から生まれる。しかし、ノリを生み出す要素は決してそ れだけではない。たとえば、音量・音色、そしてポピュラー音楽では特に重視されるミュージシャンの存在感などがビート感とあいまって、波を送り出し、そ の波と音楽の受け手側の波長がピッタリ合ったときに、ノルことができるのである。ちなみにこの“波”とは、サウンドすなわち音楽的音響を伝達する物理的 な音波としての『波』と、ライヴにおいてミュージシャンと聴衆のさまざまな身体運動によって空気がかき乱されて生じる空気のうねりとしての『波』の双方 を指す」(4-5頁)。

 この後、著者は、ノリを生み出す最も重要な要素はビート感であるとして、8ビートを例に挙げてビート感の分析に入るわけですが、シンジ分析に関わりの ない部分ですから、ここでは触れません。ここで必要なのは次のことです。すなわち「ノリというのは、ビート感と音量、音色、ミュージシャンの存在感が 『波』を作り出し、それが受け手側の『波』がピッタリ合ったときに生み出される」ということです。


3 「ノリ」とシンジ〜『龍のエムブレム』を例にとって
 
 シンジにおいても、ノリについては同じことが言えるでしょう。楽曲のビート感、音量、音色、シンジの存在感が波を作り出し、私たちの波長とぴったり 合って、ノル。とこうなるわけです。なお、「音色」ですが、私はSEも含めて考えています。
 もう少し具体的に考えてみましょう。ここでは『エムブレム』の冒頭を飾る名曲『龍のエムブレム』を例にとってみたいと思います。
 『龍のエムブレム』の冒頭はこうです。最初に子供の歌のSEが入り、その後ドラム、そして力強い前奏、最後にシンジ登場とこういう順序で展開されま す。これをよく見てみますと、

 (1)子供の歌=音色。アジアの香りという「波」を出して、受け手に期待を持たせる。
 (2)ドラム=唐突に始まるので、音量が大きく聞こえる。インパクトがあり、受け手は引き込まれる。
 (3)前奏=ビート感(8ビート)を強調。受け手の「波」が高まる。
 (4)シンジ登場(歌唱)=(1)〜(3)の間にも既にシンジの存在感は示されているが、それがようやく前面に登場する。そしてその後、シンジがアジ アでの音楽活動に活発に取り組んでる背景とあいまって、受け手側のノリは最高潮に達していく。

 とこんな感じでしょうか。もちろん私は音楽の専門家ではなく、1熱狂的シンジファンに過ぎませんから、確たることが言えるわけではありません。ただ し、1シンジファンの立場から少なくとも上のことは言える、ということになります。


おわりにー結論と今後の展望

 以前、「つむじ風」について、言葉の定義から迫るという試みを行ったことがあります(「つむじ風」におけるティンパニの意味)。今回は視点を変えて、 ノリという立場から考えてみました。音楽学「風」(素人考えなので「風」とつけます)の検討ですが、おそらく他の曲についても、ノリの枠組みで説明可能 だと思われます。
 最後に感想です。私は、研究者の間でもポピュラー音楽の場合「ミュージシャンの存在感」が重視されているのを知り、大変驚きました。今後もさまざまな 立場から検討を重ねていきたいと思います。 (2005.9.9)


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